1996年5月の嵐の日にGAIAを我が家に迎えてリクガメの魅力に取り憑かれてから数ヶ月が過ぎた頃、この魅力を1人でも多くの人に知ってもらいたいとの思いからホームページの制作に取りかかり、1996年10月に GAIA gallery を立ち上げました。
当時は、ネットと言えばまだパソコン通信の方が主流で、私もNIFTY-Serve(現在の@nifty)のカメ関係のフォーラムで飼育について色々と勉強させてもらいました。日本語のカメの飼育書などがほとんど無い時代でしたので、実際にリクガメを飼育されている諸先輩方の実体験に基づくアドバイスには大変助けられました。
その後、多くのカメ仲間が飼育頭数を増やしていく中、自分の世話もろくにできない私は、頭数が増えればきっと飼いきれなくなるに違いないと思い、GAIA1頭を大事に育てることにしました。
生体はこれ以上増やせないという反動で収集の興味がグッズへと向かうのにそれほど時間はかかりませんでした。それから先は良き友にも恵まれ着実にそのコレクションを増やしていくこととなり、今ではこのホームページのカメグッズコーナーでも紹介しきれないほどになり、その置き場にも困るようになってきました。
1998年には、今の女房と結婚し、サラリーマン生活を続けていくなら最初で最後のチャンスとばかりに、新婚旅行はリクガメフリークの聖地とも言えるガラパゴス諸島へ行きました。更に帰りにはウォルトディズニーワールドにも寄ってきました。勢いというのはスゴイものです。お金もだいぶかかりましたが、今となってはあの時思い切って行っておいて本当に良かったと思います。
そして、オスのGAIAも成長しメスを欲している頃でもあったので、当時ほとんど同じ大きさだったメスのPicassoをお嫁さんとして友人から引き取ることにしました。女房が動物好きということもカメを増やす決め手となりました。一応、GAIAは私のカメ、Picassoは女房のカメということになっています。
動物好きの女房と結婚してからは、動物園や水族館に行くことが多く、そこでカメを探したり、おみやげ屋さんでカメグッズを買いあさったりということが良くありました。海外へも行きました。
2000年5月にはPicassoが卵を4つ産卵し、第2世代の誕生が期待されましたが、無精卵だったのか保管状態が悪かったのか分かりませんが、残念ながら孵化にはいたりませんでした。この年はカメ仲間の間でも出産ラッシュで多くのカメが立て続けに出産した年でもありました。月の満ち欠けや潮の満ち引きが出産日に大きく関係していることが実証された年だったと思います。
この頃になると来訪者も増え、カメの飼育方法についてのメールをいただくことも多くなって来ましたので、僭越ではありますが、これからリクガメを飼おうとしている方のお役に立てばと思い、私なりの飼育方法をまとめたコーナーを作成してみたりもしました。
通常の社会生活では到底知り合いになることもないような人とメールを通じて交流できることは非常に楽しい経験です。私の作った携帯待受画面用の画像やGAIA君のアニメーションカーソルを使っていますというようなメールをいただくととても嬉しい気持ちになります。最近では小学生の方からもメールをいただくことがあり、政府のe-Japan戦略も着実に推進されているなぁという感慨に耽る今日この頃です。
2001年はカメではなく女房の方が子宝に恵まれ、色々なことを経験しながら過ごした年でした。ホームページの更新もほとんどされない状態でした。2002年になり、2月の終わりに元気な男の赤ちゃんが産まれ、私もついに人の親となりました。親バカと呼ばれながら我が子をかわいがるその姿に、周りからは「アイドル交代(カメ→子供)か?」との突っ込みを受けることもありますが、今後もGAIAとPicassoはしっかりかわいがっていきますので、心配しないで下さいね。
それから、これまで MAX と GAIA gallery を支えて下さった甲羅同盟およびその他の皆様にこの場をお借りしてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。 (^-^)